旅行記のようでガイドブックでもない何か はてなブログver

海外調査研究部元部長の旅行記。旅先ははじめにをごらんください。

欧州卒業旅行…史上最悪の9日間 はじめに

卒業を間近に控えた2010年2月

普通の大学生なら…

A『みんなで卒業旅行、行かない?』
B『じゃあバリ島行こうぜ、バリ島』
C『えー、ヨーロッパがいい!』
D『いや、行くならアメリカだろ』
A『うーん、じゃあ、間を取ってイタリアで』
B・C・D『間じゃねぇし!』

という不毛な議論が繰り返されている頃


なぜか僕はサークルの新歓用看板を作っていた。
もうすぐ卒業してしまうのにもかかわらず…。

たぶん後輩に「なんで、この人、ずっと部室に来るんだろう」と思われながら、せっせと看板を作っていたある日、一通のメールから僕の卒業旅行はスタートする。

『卒業旅行で海外どこか行かへん?』

送ってきたのは数少ない学部の友人。


ほぼ授業に出ていない僕にだって指で数えれるくらいの友人はいる。
中でも声をかけてくれたのは、ほぼ全ての授業のノートを貸してくれた上、
色々、授業の情報を教えくれた友人。

彼がいなかったら、僕は大学を卒業できなかったと言ってもいい。





ただ僕は大学4年間、旅行サークルにいて一つだけ悟ったことがある。

旅行はどこへ行くかではなく誰と行くかが100倍、重要。


海外旅行というものはいつもと全く違う場所で何が起こるか分からず、ずっと気を張って生活する。よって、人の本性というか性格が露骨に表れてしまう。ちょっとした行動にやたらイラッと来て、それが積もり積もって爆発したりする。

普段、大学で一緒だからという理由だけで、海外旅行なんか行ってしまうのはギャンブルだ。性格を熟知してから、こいつとなら旅行行っても楽しそうだし上手くやれるだろうとか思ってからじゃないと行ってはいけない。



で・・・だ。


その友人とは授業ではよく一緒になる。ゼミも一緒。
だがプライベートでどこか出かけたとかは一切ない。
授業の話だとか、多少、趣味の話はしたことあるが…そんなに知っているわけではない。

つまり僕の考えだと…この友人と卒業旅行へ行くのは負け戦だ。


『行きたくない…』

だが友人はどうしても卒業旅行へ行きたいという…しかも友人は初海外だ。
僕も彼がノートを貸してくれたから卒業できたという恩もある。



迷いに迷った末、卒業旅行へ行く事にした。
『まあ3泊4日くらいで香港とかなら面倒見れるだろう』

2泊3日で台湾だと卒業旅行っぽくない。
5泊6日でアメリカは素人連れて行くには僕の負担が重すぎるから却下。

間を取って3泊4日香港の旅を友人に提案しようと思って打ち合わせの日を迎えた。




部室で看板作りを一旦中断し…大学の食堂にあるカフェで待ち合わせ。

僕『さて、どこいきますか?(香港だけどね)』
友人『うーん、どこでもいいけど…』
僕『まあ、俺もどこでもいいんだけどね(嘘。香港だよ。シンガポールでも可)』
友人『俺、初海外だからさ〜』
俺『(そうそう、初海外は香港くらいがちょうどいい)初海外か〜。』

友人は僕の言葉にかぶせ気味で衝撃の一言を発した
友人『ちょっとヨーロッパ行きたいんだよね』

僕『(えええぇぇぇっっっョョォヨーロッパァァ…遠い!高い!しんどい!)……。』

とんでもない先制パンチに一瞬、冷静さを失いかけた。

僕にとってはヨーロッパは全く考えになかった。
っていうか僕は、半年前にヨーロッパに行ったばかり。
そのことを友人は知っているはず。


何とかしてヨーロッパから香港に変えさせねば

僕『あ、そう。結構、金するで』
友人『金は大丈夫やわ』

僕『あ、そう。最低8日はいるで。俺もサークルの看板作らなあかんし…』
友人『バイトやめて暇やから、いつでも行けるで』

僕『香港とかやったら安いし4日ぐらいで行けるで』
友人『うーん、香港は行きたくないわ』

僕『飛行機も初めてなん?飛行機13時間乗るけど…』
友人『大丈夫やと思う。逆に楽しみやわ』

僕『初めてでヨーロッパはしんどいと思うわ、ツアーじゃないし…』
友人『自分、何度も海外いってるやろ。余裕やろ。』

僕『じゃあヨーロッパにしようか。』
友人『うん、そうしよう』


※注 今回の旅行記はフィクション的要素を多分に含みますが、ほぼほぼノンフィクションです。どっちやねん!(笑)

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第10夜

鎌倉で遭難した次の日の23日は浜松まで到着し、24日に大阪へ到着。


無事、旅が終わったのである。


今回は旅先で現地の人と喋ることができたし、海外だけでなく日本も捨てたもんじゃないなあと感じることができた旅になりました。

無意味な旅って最初に行ったけどスゴイ有意義な旅になってしまった気がします。また遠野には”帰りたい”鎌倉は・・・もういいや。それぞれの街に思い出ができて自分でも不思議なくらい旅というものに満足感があったのを今でも覚えています。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第9夜

今日は鎌倉へ行こうと朝早く東京を出た。

鎌倉はみなさんご存じのように源頼朝によって開かれた歴史的な町だ。


鎌倉へ着くとまず鶴岡八幡宮へ行き、次は大仏へ行こうとしたのだが、ここから大仏まで方向は逆方向だから、かなり遠い。

ふと、見た地図に面白い文字を見つけてしまった。
「大仏ハイキングコース」
うーん気になるぞ。どんなハイキングコースなんだ?すごい気になるぞ

街の中の道を歩くより、なんか面白そうだし大仏ハイキングコースを歩いてみるか。

すごい軽いきっかけで大仏ハイキングコースを歩くことになったのだが、これが大きな過ちだとこの時は全く知らなかった…。



午後12時ごろ、鎌倉の切通しを見ながら大仏ハイキングコースの入り口に到着。なぜか、道が舗装されていない上に岩がむき出しである。ハイキングコースだから整備されているだろうと思っていたのだが、全くの予想外。しかも進めば進むほど道は悪くなり…森が深くなり…傾斜が急になっていく。完全に山登りの体をなしてきた。

歩くこと1時間。まだ深い深い森の中だった。

ここで一つ気づいたことがある。
1時間歩いたものの、ここまで誰ともすれ違っていないし、追い抜かれてもいない。
ハイキングコースなのだから逆側から誰か来ても不思議ではないのだが一向に人の気配はない。

しかも、ここで僕の足は限界に近づいてきた。

「もう歩けない」

かなり切羽詰まった状況に陥ってしまった。



正直、この状況を一言で表すと「遭難」である

僕は鎌倉で遭難したのだ。

すぐそばには由比ガ浜あり、鎌倉の町並みから数百メートルのところで遭難してしまった。

気になるからっていう理由で、こんなハイキングコース来てしまったのが間違いだった。素直に街の中を歩けば良かったのに…なんて僕は馬鹿なんだ。






本気で焦り始めたその時!

前から一人のオジサンが現れた!

「助かった!」

この時の嬉しい気持ちをどう表わしたらいいのだろうか!


そしておじさんにに「出口まで何分くらいですか?」と聞いてみると…


「1時間半くらいかな」


僕は絶望した。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第8夜

今日のお昼に東京にいなければならなかったのだが、昨日、遠野へとんぼ返りしてしまった影響で・・・まだ北上である。もう東京に着くのは諦めゆっくり東北を満喫することに。



朝1の電車で北上を出発。一関を出てもうすぐ、仙台というところで車掌のアナウンスが…

『次は松島に止まります』


松島って日本三景の松島か!今日は特に予定はないし、ちょっと寄り道してみよう!

そう思い電車を飛び降りた。

駅を出て目の前に広がるのは日本三景…ではなく住宅街…

???

どうやら松島海岸駅というのがあってそちらが本物の松島らしい。


次の電車まで2時間近くあるので、海岸駅まで歩いて、日本三景、松島を観光。

個人的には遠野ほどではなかったが、まあまあの観光地でした。


再び電車に乗り南下。

仙台で牛タンを食い忘れ、宇都宮では日光東照宮があるのも完全に忘れ、ゆっくり南下しようという朝の考えもまるっきり忘れ、なぜかその日の夜、東京に着いてしまった。


昨日、あっさり東京に着いてしまったので次の日は東京を満喫することに。

個人的なイメージだが東京と聞くと・・・人々は全員が他人でご近所付き合いなんて全くない冷たい街。一歩足を踏み入れるまではそんな印象の街だった。

だがその東京が僕に喰らわせたカウンターパンチは強烈だった。

はじめての東京で予定もなく、ジブリの美術館でも見に行こうと電車に乗っていた時である。

中野駅で扉が開いて、乗ってきたおばちゃんが突然、声をかけてきた。

「兄ちゃん、ガムあげようか?」

まさか東京で隣のおばちゃんが声をかけてくれると思わなかった。

まだ大阪なら、わかる気もするのだが、ここは危険な町、東京だ。

このガムを貰うと後々、とんでもない金額を請求されるという新手の詐欺かもしれない。いや、そんなヌルい詐欺ならマシだ。もっと裏に大きな詐欺集団があって(以下略)



見ず知らずの人にガムをあげるメリットはあるんだろうか?


僕の思考回路はフル稼働するか全く意味がわからなかった。

某美少女戦士の思考回路はショート寸前っていう意味はこれのことか?!
とかどうでもいい事まで考えたあげく、ここで僕の思考回路はショート寸前ではなく完全にショートした。


「ガムあげようか?」の後、約1秒間に思考回路がフル稼働して考え出した答えが「ありがとうございました」という極めて単純な答えだった。



その後、おばさんは僕が大阪からの旅行者だとわかると、なぜか本当に「なんでやねん」っていうの?とか大阪トークをさせられ続けるのであった。

まあ、面白いおばさんだったから、いいや。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第7夜

しつこいようだが明日の昼過ぎに東京にいなければならないのだ。今、岩手県の北上だ、ペース的にはかなりの遅れである。

朝9時、僕は花巻駅のホームで釜石行きの電車を待っていた。

ここで話が変わるが、僕は車窓の風景を眺めているのが好きだ。北海道からここまでほぼ寝ることもなく、持ってきた本を読むこともなく、ただずっと車窓を眺めていた。本はまた後で読めばいいが、この風景は2度と見ることができないかもしれない…そう思うからだ。

だが、この日は違った。

僕は大学の履修期限が近づいて来ていた為、簡単に単位の取れる教授はいないかと某大学○○学部の過去問が載っている学会報という本を読んでいた。


すると突然、僕の向かい合わせに座った女性に声をかけられた。

『○大の方ですか?』



『はい。そうですけど何か』



あまりに突然、声をかけられたから、すごい無愛想な返事をしてしまった。(今、同じ風に声かけられても同じ返事すると思うけど…)

『私も○大生なんですよ』



偶然とは恐ろしい。まさかこんな東北で近畿にある同じ大学生が会うってありえるのかよ。と思ったけど…話を聞くと本当に○大生だった。っていうかその後、約1時間くらい話込んでしまった…。

彼女は4回生で、すでに就職も決まり、一人で旅に出ているという。

同じ駅で下車し、『あぁ、それだったら駅の反対側ですよ』と教えてあげて、そこで彼女と分かれた。

僕はレンタサイクルで町を散策し始めた。

自転車をこぐこと30分…





再び河童淵に到着した






そうである・・・僕は2日連続で遠野に来てしまったのだ!



今日の日記を読んで違和感を感じた人も少なくないだろう。

?なぜ、北上より北にある花巻にいるの?
?なぜ、この日だけ風景を眺めていなかったのか?
?なぜ駅を降りて、すぐに場所がわかるのか?

そう全ての答えは、昨日行ったばかりの遠野へ来ていたからだ。



もう明日の昼に東京に着くことを諦め、遠野を堪能することを決心したのだ。

昨日…『また必ず来るからね〜』といった次の日に来てしまった…バカである。


それにしても遠野はいいところである。Oさんがいいところだと言っていたのも、非常にうなづける。


そういうことで、まる一日、遠野を満喫し、北上に連泊するのでした。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第6夜

朝、青森を出てからどれくらいたったのだろうか…



僕は岩手県にある遠野という町に向かっていた。

遠野といえば、遠野物語や河童で有名な民族伝承がそのまま残った町。

ヨーロッパ風に言えば『メルヘン』な町なのだ。


なぜ僕が、この町を目指したかは、Oさんが『いい町だ、いい町だ』としつこく
言うからである。


どれくらいいい町なのか、この目で確かめようと思い、足を踏み入れようと思っ
たのだ。

そして午後2時半、遠野に到着した。

駅の横で自転車を借り、係りのお姉さんから地図をもらい、有名な河童淵へ行く

河童淵まで行く途中、映画となりのトトロでしか見たことがない・・・風景が広がっていった。



『ここなら河童がいても不思議じゃないなぁ〜。』

まだどこも見ていない回らないうちに、遠野はいい所だと感じた。

なぜか落ち着く。

なんか昔の僕の町と重なる何かがある。今は住宅地が増えてしまった僕の町だが昔は遠野のような町だったような気がする。


『遠野は日本の原風景を今に残したような町なのかもしれないな。』


そうこう思ってるうちに、河童淵に到着。



河童が流れてくるわけでもなく、のんびりと過ごしていたが、時間を見てゾッと
した。

もうすでに夕方5時を回っている。



みんなも知っているだろうが…僕は明後日の昼1時の東京の味の素スタジアムにいなければならない。


どう考えても今日中には仙台あたりに着いておきたい。


そう考え、急いで遠野駅へ向かい、『さらば遠野!!!また必ず来るからなぁ〜〜〜』と心の中で思いながら、別れ惜しみつつ花巻行きの電車の飛び乗った。


花巻で乗換え、仙台へ向かうつもりだったが、ここから3時間も電車に乗る力が僕には残されていなかった…。約10分で北上駅で下車し、北上で宿を取ることにした。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第5夜

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第4夜

4日目、3月18日 午前中

今日は特に予定も無く、朝から青森でも観光して昼過ぎから南へ移動しようかと思っていたその時である!・・・現れたのは紫ジャンパーの男(これで3日連続だ)

なんだか怪しいぞ。

これは僕をつけて某国へ拉○しようとしてんじゃないか?

絶対そうに決まってる!!!

やばい!!!

一刻も早く青森を出ねば!!!

今から急げば、始発の八戸行きに乗って逃げれる!!!

急げ!

時間が無い!

そして、青森駅のホームに着いた時・・・・誰か不意に声を掛けられた。

しまったぁ〜!工○員に捕まった〜!


『あの〜』

あれ?声がおじいちゃんだ。


『たぶん携帯にメールかなんか来たんやけど、開き方わからんのや?(津軽弁大阪弁に変換しています)』


俺「???」


声を掛けてきたのは紫ジャンパーではなく、青森駅にいた普通のおじいちゃんだ。

おじいちゃんは、ただメールの開き方がわからずに僕に話しかけてきただけだった。





親切におじいちゃんに届いたメールを開けてあげた後、僕はホームに向かい八戸へと向った。


ちなみにメールの内容は「○○さんの家に泥棒」という内容だった。

2008年 北海道→大阪…ローカル線の旅 第4夜

昨日は昼12時に電車で札幌を出て、ローカル線を乗り継ぎ、約10時間もの間、電車の乗り続け、やっと函館へ到着した。

だが面白いことに、このような長い道程を僕と同じようにローカル線で行く人がたくさんいる・・・

紫色のジャンパーをきてずっと本を読んでいる学生風の男

30過ぎの旅慣れてそうなオッサン

バックパックが似合う外国人などなどが僕と同じ電車に乗っていた。

いろいろな人が旅をしているんだなと実感しながら、今日は朝から五稜郭へ歩いて向う。


今、僕の前を歩いているのは、よりによって昨日、電車で一緒だった紫ジャンパーの男だ。


そりゃ函館を訪れたら、五稜郭くらいしか行くところないんだから遭遇しても不思議ではない。(まあ、このときはそう思ってたんだが・・・)




とりあえず気にもせず戊辰戦争、最後の戦場である五稜郭や日本三大夜景の函館山などを歩いて観光し、終電の特急列車(特別、この区間だけ自由席特急券買うだけで特急に乗れる)に乗って青森へ向った。



余談だが、この特急の車内で青函トンネルを掘っていたという老人に出会い、青森まで永遠、その難工事について語られ続けた。

もう、それはそれはプロジェクトXでした。老人の話は終わる気配がないまま、青森駅に到着した。