旅行記のようでガイドブックでもない何か はてなブログver

海外調査研究部元部長の旅行記。旅先ははじめにをごらんください。

2008年 香港合宿の記憶 第二夜(後編): 重慶大厦(チョンキンマンション)

前回、午前中に黄大仙祠を観光後、それぞれ別行動することに。18時に尖沙咀地区にある重慶大厦(チョンキンマンション)前で再集合という約束をして、僕らは蜂の子を散らすようにバラバラに散らばった。

 

僕は女人街男人街という香港で有名なメインストリートへ向かい、友達へのお土産を買い込む。安定のマクドで昼飯を食った後、花園街でサークルで使う小道具(ライオンのパペット)を買ったり金魚街で魚の鑑賞。

なんか卑猥なイメージの名前の街ばかりを散策しているようだが、どれも香港のガイドブックに載っているちゃんとした観光地だからね。

 

その後は眼鏡屋さんでメガネづくり。

なんで香港でメガネ作りって?当時は日本にJINSとかの格安眼鏡屋さんなんてなくて、

僕の度のきつい眼鏡なんて作ろうとしたら1本30000円くらいかかるって時代だったのよ。

前年2007年に韓国で1本3,000円~5,000円で5本もメガネを作って、海外でメガネを作る事に味をしめた僕は香港でも作ることにした。ただ韓国のソウルのように格安メガネ店が軒を連ねてる訳ではない香港だったが、1本8000~10000円で作れるってホームページに書いていた店へ行ってみることに。

 

住所の場所に行ってみると店の入り口がわからない雑居ビルに到着。

なんかヤバい匂いがしてきたが、2階に行くと思った以上に綺麗な眼鏡屋さんに到着。

モデルの写真が西洋人なのは置いといて・・・

西洋人とは似ても似つかない中国人のおばちゃんが出てきて接客してもらったあげく

おばちゃんの口車に乗せられ2本も購入してしまった。

 

 

その後は急いで重合場所である重慶大厦(チョンキンマンション)に。時間通りに到着したものの一人、部員が現れない。

 

1回生で初海外のHくんだ。

一人でディズニーへ行くとは言っていたが、何かあったのか?と心配していたところ。

 

顔面蒼白のHくんが15分遅れで現れた。

 

何があったのかと聞くと重慶大厦に30分も前に到着していたらしい。付近を散策するとインド人に腕をつかまれ時計を買わないか?と執拗に絡まれて、逃げ出すのに30分以上かかったらしい。

ウキペディアに下記のように書かれているように悪質な客引きに引っかかったようだ。

重慶大厦 - Wikipedia

以前は犯罪の温床であると言われ長らく治安面で不安を抱えていたが、A座3階に警備員詰所が設けられるなど2000年代以降警備の強化が続いている。問題となっていたG階での強引な客引きも2008年末から規制の強化が行われ、以前よりは悪質な客引きは大幅に減っている。

 

その後、僕らは20時から、シンフォニー・オブ・ライツを眺めつつホテルへ戻った。

 

 



 

閑話休題2 失敗談まとめ

海外旅行をしていると失敗談はかなりある。

 

たとえばイカだと思って食べたらカエルだったとか。

travel-abroad.hatenablog.com

 

LAからラスベガスへ行く格安バス乗ったら乗客全員中国人だったとか。

travel-abroad.hatenablog.com

 

サークル合宿で行った中国のホテルのお風呂がシースルーだったとか。

travel-abroad.hatenablog.com

 

数えたらキリがない。

 

中でも食べ物で失敗談は数えきれない。

 

今回紹介するのはヨーロッパの肉の焼き加減の話。

 

場所は、とあるフランス・パリの街角レストラン。

メニューはフランス語。

牛肉BOEUFっていう言葉は、記憶しているので、メニューから探して…

 

あった!!!

ウェイターのやる気ない女の子を呼び止める

 

僕(メニューを指さして)「this please」

ウェイター「OK。thank you!!」

 

いや何て簡単なんだ。ヨーロッパ余裕!!!と思っていたらウェイターが続けてくる。

ウェイター「Ho? wo??d ??u li?? ??ur steak co??ed?

僕「???」

ウェイター「How would ??u li?? ??ur steak co??ed?

僕「???(なんか聞かれてるな。ソースかな、焼き方かな?)」

ウェイター「blue rare.rare.medium… 

 

僕(やっぱり肉の焼き方か!!!)

ブルー?? レア!!!』

 

人間条件反射というものがあり相手の最初の言葉を繰り返してしまった。

日本でもミディアムしか頼んだことないのにレアを頼んでしまったことになる。

勢いでブルーって言ってしまったが…なんかフランス特有の前置詞だろう。

 

10分後

 

僕の目の前に現れた料理・・。

真っ赤なミンチ肉が皿一杯に盛られている。

僕は完全に動揺していたがウェイターにバレない様に平静を装った。

 

恐る恐る食べてみる。

 

生だ!!!

しかも全然おいしくない。

3口ほど食べたところで食べるのをあきらめた。

 

 

日本ではレア、ミディアム、ウェルダンの3種類と思ってる方が多いと思うが

実は海外では9~10種類もあるらしい。

 

① ロー(raw)

② ブルー(blue)

③ ブルーレア(blue rare) 僕の頼んだ奴

表層を数十だけ焼いた状態のもので、いわゆる「のタタキ」に近い

④ レア (rare) 

⑤ ミディアムレア(medium rare) 日本のレアのイメージ

⑥ ミディアム(medium) 

⑦ ミディアムウェル(medium well) 

⑨ ウェルダン (well done)

⑩ ベリーウェルダン(very well done)

 

今回の教訓は

焼き方に10種類もあることと、相手の言葉を条件反射で繰り返してはいけないという事。

 

 

 

 

 

閑話休題:なんで僕はこんなに写真が下手なんだろう。答えはまだない。

閑話休題

 

香港旅行記は一度、お休みして写真のお話。

 

ぼくは今まで海外旅行19回、滞在日数110日、15か国を旅してきた。

もちろん撮ってきた写真はゆうに1万枚を超える。

 

でも僕には悩みがあった。

 

『写真が致命的に下手』

 

これは機材やカメラ技術とかの話ではなくて…

海外旅行から帰ってきて写真を見返してる時に強烈に感じる…。

 

『いい写真がない』

 

一緒に旅した友人の写真を見ると、すごく良い写真を撮っている。

僕と同じ行動をしていたにもかかわらずだ。

機材も僕とほぼ同じコンパクトデジカメやミラーレスでだ

 

『めっちゃいい写真ばっかりやん!どうやって取ってるん?』

と言ってもだいたい謙遜して「そんなことない」と言って教えてくれない。

 

僕なりに原因を色々、想像する。

 

①隣の芝生は青い説

そもそも他人が取った写真の方がよく見えるという要素は少しあると思う。

でもそれだけでは説明がつかない。

よく海外に言っていた父親の写真を見ると、良い写真は少ない。

僕と構図が似ている写真が多くて、写真下手は遺伝なのかもしれないと思わせてくれる。

 

②遠慮を知らない説

これは一理ある気がする。

僕は海外で撮る時も、昔から人が映らないように写真を撮るように意識している。

なので、あんまり人が映っている写真は多くない。

今でこそプライバシーを気にしないといけないけど・・・

人が映りこんでもいいから、この写真を撮りたいとか、あと一歩前に出て写真を撮りたいという気持ちがいい写真を生むのかもしれない。

ある友人女性が海外の男子トイレの中を激写していたのは、どうかと思うが…。その人の写真もいい写真が多かった気がする。

 

③低目線説や色々目線説

自分と違う目線の写真がよく見えるという気もする。

ある人はお腹の前にカメラを構えて取ってたと思ってたら

手を上げて上から撮ってたりいろいろな撮り方をする。

たしかに背の低い女性や僕より背の高い180センチくらいの友人に写真がうまい人が多い気もする

 

④時間無視説

①-③以外の友人で撮りたいものがあると、そこで立ち止まって写真を撮る人がいる。その人は日本でもそうする。

僕は旅のスケジュールを優先してしまうために、わざわざ止まったり、しゃがみ込んでまで写真を撮ったりしない。それでは旅行者ではなく写真家。

 

写真を撮るために海外へ行ってるんではない。

海外を体験したり、楽しみに行ってるんだ。

 

海外旅行という限られた時間の中で、海外を思いっきり楽しんで、

でも帰ってきた後に見返した写真は良い方がいい。

 

なかなか難しい問題である。

もし何かアドバイスがあれば教えてください。

 

いつか実践するかもしれません。

 

 

そんな僕にも何枚かはいい写真を撮ってたりするので。

それを見ながら、お別れしましょう。

 

サラゴサ・聖ピラール教会の夕景

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グアムでハイジャンプ

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アブダビシェイク・ザーイド・グランド・モスクf:id:travel-abroad:20160814161138j:plain

 

 

 

あけましておめでとうございます、昨年は大変お世話になりました。

 

本年もよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

2008年 香港合宿の記憶 第二夜(前編): 占い師はお昼寝中

深夜1時過ぎにホテルに到着し眠りに入ったのは2時を回った頃。

十分な睡眠がとれぬまま、朝9時にホテルを出て、黄大仙祠という寺院へやってきた。

 

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寺院の中はパッと見て終了。

正直、まったくなのも覚えていない。

当時のしおりと写真が残ってるから、黄大仙祠へ行ったのは間違いない

 

ここは占いが有名で、近くの建物に占い師が集まっているとガイドブックに書いているので建屋の中に入る。

両脇に占い師屋さんがズラ~っと並んでいると思いきや…

 

ほぼ全店シャッターが閉まったままだ。

まだ10時で、まだ開店準備中の店ばかり。

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そんな中、一軒、電気がついて「OPEN」と書いている店を発見!!

僕らの将来を占ってもらおうと思ったが、占い師らしき女性は机にうつぶせで爆睡中。

寝起きの占い師に占ってもらうチャンスなど今しかないと思ったが起きる様子がないので、そのまま素通り。

 

結局、占ってもらえそうな店も無いので、

ここからは夕方まで部員それぞれ自由行動にすることにした。

 

一応、説明すると僕らは大学から公認されたサークルで部費までもらっている。

ただ香港へ遊びに来たわけではない。研究で来たことになっている。

もちろん日本に帰った後は、研究成果を発表する予定だ。

「おいちょっと待て。前のグアムの旅行記でお前ら、島1周ドライブしてただけじゃねえか!!!」というツッコミをいただくかもしれないが…

ドライブ中も真剣にグアムの地形を研究していたのだ(遠い目)

 

という訳で香港では各々、研究発表できるようなネタを見つけるべく自由行動となった。

 

女子二人は、船に乗って香港のビジネスの中心地、中環へ。

 

初海外、法学部1回生のHくんは誰かと一緒に行動したそうにしていたが、

僕はそれ無視して、女人街、男人街のある旺角へ。

 

商学部3年のSはどこへ行くか言わずに雑踏の中へ消えていった・・・・。

 

ちなみに迷いに迷ったあげく法学部1回生Hくんは男一人で香港ディズニーへ。

 

全員が海外で使える携帯を持っている訳ではないので18時に尖沙咀地区にある重慶大厦(チョンキンマンション)前で再集合という約束をして、僕らは蜂の子を散らすようにバラバラに散らばった。

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2008年 香港合宿の記憶 第一夜(後編): gossip boy : sがやってきた

10月30日21時 パンダホテルに到着してチェックイン。

誰もが1日目が終了すると思っていた・・・。

 

今回の合宿は3泊4日・・・1日目は夜到着、4日目は午前の出発という事もあり、

真ん中の2日間が実質的な活動可能日。

 

まあホテル着くのは21時やし、今日はホテルでゆっくりして明日に備えよう。

と僕や他の部員は考えてたが・・・

 

一人、違う考えを持っている奴がいた。

今年から入部した商学部3回生のSだ。

 

 

それは空港からホテルへ向かう地下鉄の中で起きた

 

S『これからどうします?』

僕『これから???』

S『ホテルに着いた後ですよ?』

僕『えっ、このまま休むんじゃないん?』

S『もったいないじゃないですか、せっかく香港まで来てるのに。』

 

Sは夏休みにはベルリンやNY、シアトルなど世界の各都市を旅行しているアクティブ志向の彼には21時はまだ活動時間らしい。

そういえばベルリンではドイツ人と毎日朝3時までビールを飲んでいたとか、シアトルでは朝までバーで過ごしたとか、言ってたな。

 

僕は乗り気じゃなかったがサークルの部長としてみんなの意見を聞くことにする。

僕『Sくん、こう言ってるけど、みんなどうする?』

部員『・・・』

S『せっかく何でヴィクトリアピーク行きましょうよ!ホテルに荷物だけおいて!

23時半までに着けば登れますよ』

 

2時間後

 

僕らはSの勢いに誰も抵抗できないまま

地下鉄を乗り継ぎ、ヴィクトリアピークに向かうピークトラムに乗車していた。

頂上に着いたのは22時30分をすでに回った頃。

 

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香港の夜景を眺めていると僕のお腹が「グーッ」と鳴った。

 

そう、僕ら香港に着いてから何にも食べていない。

Sのせいでホテル滞在もわずか5分でヴィクトリアピークへ急いで来たせいで

夕食を食べるのを忘れていた。ビクトリアピークのレストランはすでに営業終了しており、とりあえず繁華街の旺角なら店も開いているだろうということで、そこで夕食を取ることになった。

 

中環駅から地下鉄に乗り、旺角へ着いたのは23時30分。いくら終電の遅い香港でも気になる時間だ。駅の時刻表でパンダホテルのある大窩口駅への時間を調べると終電は0時26分だと判明。

 

終電までのタイムリミット 56分。

 

駅を降りて南の方へ。

 

イムリミット 50分。

 

ガイドブックに載っている有名店は閉店。

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イムリミット 45分

 

時間がない中、地元民であふれてる店を発見。

こうなったら一か八か・・・。

「WING KEE RESTAURANT」

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イムリミット 40分。

 

メニューが中国語のみ・・・

みんなそれぞれ料理を選んで注文。

僕はメニューの一番上にあるやつを注文

 

 

イムリミット 30分

料理が到着。

 

チンゲン菜と思われる野菜に謎の肉が着いた料理。

 

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過去最高の不味さ。

 

絶望

 

 

かわいそうな僕を見て…Hくんは頼んだラーメンに付いていたベビーハムをくれた。

なぜラーメンにチューシューじゃなくてベビーハムが付いていたかは置いといて

 

このベビーハムの美味しさは忘れられない。

 

 

イムリミット 10分

 

会計を済ませ、駅まで猛ダッシュ

 

終電に何とか間に合いホテルに着いたのは深夜1時・・・

 

第一夜はこうして幕を閉じた。

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2008年 香港合宿の記憶 第一夜(中編)猫なのか熊なのか

2008年10月30日19時15分

赤い虎が描かれた機体は香港国際空港に到着。

荷物をピックアップし入国審査、税関を思った以上に早くスムーズに通過し、

20時には空港の外へ出てエアポートエクスプレスに乗ってホテルへ向かう。

 

え~っとホテルは・・・

 

~~~~~出発1週間前~~~~~~

10月24日、出発まで1週間を切っていた夜、

HISさんから届いた旅行の工程表に目を通していた。

出発時間や飛行機の時間を確認し、

滞在先を見たとき、僕は一瞬、目を疑った。

 

 

滞在先:

パンダホテル

 

 

ホテルと言えば

ホテル日航なんたら、ヒルトン香港?、マリオット九龍?(←全部、想像です)

少なくとも

プラザ、グランド、プリンス、ロイヤル、オリエンタル、プロムナードとか

かっこいい名前が付いているものだと勝手に思っていた。

 

 

これは詐欺だ、詐欺に違いない。

 

と思いつつ、ググってみると確かに香港に存在する・・・。

 

 

見なかったことにしよう!!

 

 

だって、他の部員から、どこのホテルに泊まるんですか?って言われて

パンダホテルと言えば、千年の恋も醒めてしまう

 

ホテル名を言ってしまうと香港に行かない奴が出る気がする。

僕は嘘をついた。

『滞在先は出発日にカウンターで教えてくれるんだって!!!』

 

 

~~~~~~~飛行機内~~~~~~~~

 

香港に着く少し前、飛行機の機内でHくんが聞いてきた。

Hくん『ところで泊まるホテル名なんていうんですか?』

僕『さっき聞いたんやけど、パンダホテルっていうとこらしいよ』

 

全員『・・・・』

予想通り、一瞬、全員の時が止まった。

本当に出発前に僕が知らせていたら全員キャンセルしてたかもしれない。

そう思わせるくらい。時が止まった。

 

場を和ませようと

僕『僕もさっき見て、一瞬、目疑ったわ(笑)ほんまに変な名前やで』

と言っても空気は変わらない。

 

Hくん『ちょっと見せてくださいよ』と言って工程表を僕から奪う。

 

初海外で、かっこいい名前のホテルに泊まると

(勝手に)思っていたHくんの表情から笑顔は消え、

失望感が滲み出ていた。

 

皆ショックを隠せないまま、香港国際空港に着いたのでした。

 

 

~~~~~~~回想ここまで~~~~~~~~

 

 

東涌線荃湾線を乗り継ぎ、大窩口駅に到着、時間は21時前。

 

ホテルまでは横断歩道がなく、歩道橋が交差点に設置されているため昇り降りが激しい道を行く。

 

歩道橋からホテルが見え、壁に描かれたパンダの絵が僕らをあざ笑っている。

 

21時。ようやくパンダホテルに到着。

ロビーで待ち受けるパンダたち・・・。

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疲れ切っていたせいか、ここまでパンダがかわいく見えなかったのは初めてかもしれない。

(モンチッチいるし・・・)

 

 

無事チェックインを済ませ・・・

1日目はようやく幕を閉じ・・・ないのです。

(第一夜 後編に続く)

 

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2008年 香港合宿の記憶 第一夜(前編)赤い虎の罠

長い長い『はじめに』全7話が終了し、やっと本編が始まります。

お待たせしました。サークルの内輪もめではなく、やっと旅行記です

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2008年10月30日 場所は関西国際空港 出発ロビーのHISカウンター前から話は始まる。

 

今回、旅行サークルにも関わらず2007年の韓国旅行に引き続き

HISのパッケージツアーで旅行を申し込んでいた。

 

パッケージツアーと言ってもフルパッケージではなくホテルと航空券のセットで販売しているいわゆるフリープラン。前回の韓国は空港からホテルまでの送迎がついていたが今回は無し。すこし不安はあるが、2008年春には北海道から大阪まで2週間1人旅。夏にはニューヨーク、ワシントン、アトランティックシティを航空券とホテルを自ら予約し...旅というものに少しずつ自信がついてきたタイミングでの香港合宿となった。

 

集合時間の30分前に集合場所に到着。

 

すでに文学部4回生女子I・Yさん商学部2回女子I・Mさんは集合場所に到着していた。文学部女子Iさんは去年の韓国合宿にも参加、カナダ留学も経験し英語はサークルトップ。商学部女子Iさんは静岡出身のお淑やかな女の子。今回が初海外

 

集合10分前に法学部のさわやか1回生男子Hくんが登場。

地元吹田出身。元陸上部で超ビビり。

 

集合時刻とほぼ同時に現れたのが、今年から入部した商学部3回生のSくん

僕と同学年の彼は商学部の学祭委員でもあり、夏休みには世界1週の旅に出ていたトラベラー

 

ただ僕らは彼の服装に驚いた…

遠目には茶色のアウター・・・

まさかのラメ入り。

 

一同、唖然としてしまったのは言うまでもない。

 

ラメ入りは気になるが

気を取り直してチェックイン、保安検査、出国審査と進んでいく。

シャトルに乗って、搭乗口に向かう。

 

シャトルの外にはチャイナエアラインのジャンボ、キャセイパシフィックボーイング777、ユナイテッド航空アシアナ航空ANAボーイング767。色とりどりの飛行機が並んでいる。

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(写真はイメージ@成田&フランクフルト)

 

見ていてとても楽しい。

他にも黄色水色コントラストがまぶしい飛行機や赤いトラが尾翼に描かれた小さな飛行機。

いったい何処へ行くのか、想像のつかない飛行機も多い

 

待合室で待ってるうちに、先ほど見ていた飛行機は次々と出発していく。

 

ただ少し気になることがある。

 

僕の搭乗口の先にいたANAキャセイパシフィック航空は出発済み。

今、残ってるのは赤い虎が描かれた小さな飛行機。

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いや、さすがにこのサイズの飛行機で行くことはないだろ。

だって香港だよ、香港。国内線じゃないんだから…。

でも小さく機体にHONG KONG EXPRESSと書かれている。

 

『あんな小っちゃい飛行機じゃ、香港つかないよ!』

 

そしてアナウンスが流れ・・・

 

香港行きの旅行者は小っちゃい虎の飛行機に乗り込んでいく。

『おいおい。俺はもっと大きい飛行機に乗りたいんだよ~』と

ごねるが時はすでに遅し。

 

 

機内に入ってさらに驚く。

真ん中に1本だけ通路がありサイドに3席3席の6座席しかないタイプ。

国内線でも2-3-2の日本エアシステムのの三沢→伊丹が今まで乗った最小サイズだったが、それ以上に小さい。

 

不安を覚える中、香港エクスプレスは関西空港を飛び立った。

 

今では格安航空に分類される香港エクスプレスだったが当時はフルサービスの航空会社。

 

商学部のS君はラメ入りの服を着ながら山東ビールを3杯飲み干し、満足げに香港国際空港に到着するのであった。

 

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2008年 香港合宿の記憶 はじめに7(相次ぐドタキャン)

副部長の休学で、僕一人でなんとか香港合宿を成功に導かなければいけない。

そんな使命感があった。

ただ、こんな僕の呼びかけに近年最高の9人もの部員が合宿に参加してくれることになった。(2006年台湾は6人、2007年韓国も6人の参加だった)

 

では参加メンバー紹介していこう!

 

まずは経済学部3回生、部長の僕。3年連続3回目の合宿参加。

 

英語が堪能な文学部4回生の女子、Iさん。同じく3年連続3回目の合宿参加。

 

静岡出身2回生商学部女子、Iさん。初参加。

 

今年から入部した商学部3回生男子、S君。もちろん初参加。

 

同じく2回生文学部女子のT・SさんとT・Mさんの仲良し二人組。

 

ここからは1回生。

 

さわやか法学部男子のHくん

 

法学部女子コンビのSさんとNさん。

 

ということで男3人女子6人香港行きが決定

旅行会社に9人で申し込みを行った。

 

 

だが・・・

 

 

3日後・・怒涛のキャンセル祭りが始まる

 

 

 

まず法学部女子コンビのうちのSさんが部室にやってきて

『お金ないんで、やっぱり合宿行くのやめます』

俺も金ないわ

 

その1時間後

法学部女子コンビのNさんからメール

『Sさん参加しないんですか?。じゃあ、私、知らない人ばかりになるんで行くのやめます』

みんな知らない人だって…

 

 

さらにキャンセルの嵐は続く

 

キャンセル料がかかる出発5日前、2回生文学部女子のT・SさんとT・Mさんの仲良し二人組がやってきた。

 

なんか嫌な予感がする。

 

T・Sさん『やっぱり、合宿参加キャンセルさせてもらいますか。二人で行こうってなったんで』

T・Mさん『キャンセル料払うんで』

最初からそうしておけよ

 

出発直前、まさかの5人で香港合宿に。

近年最高の参加人数と言っていたが、近年最低になってしまった。

(っていうか過去最低なんじゃないだろうか)

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2008年 香港合宿の記憶 はじめに6(副部長失踪)

夏休みは京都での絵ハガキの旅以外、サークルでの活動は特に何もなく…僕はアメリカを旅したり、各部員各々、夏休みをしたのだと謳歌したのだと思う。

 

9月19日に秋学期が再開し、香港合宿への準備を急ピッチで進めないといけなくなってきた。

 

スケジュールとしては10月10日までに旅行プランの選定と参加人数の確定、10月15日ごろに旅行会社申し込み、10月20日ごろに集金完了し入金、10月30日出発というものだ。

 

~~~~2週間経過~~~~

 

そして、あっという間に秋学期開始してから2週間。一応、2回の会議で香港3泊4日、5万2000円のプランに決定し参加者の最終確認という段階に入っていた。

 

ただ、いつもと違うことがある。

 

副部長の工学部女子Oさんが部活動に現れないのだ。

 

部室利用ランキングでは僕に続いて利用頻度が多いOさん。

最初は忙しくて部室に顔出せないんだろうと思っていたが日が経つにつれ、少し心配になってきた。

 

たまたま来れてないのかな」

「サークル辞めちゃったのかな」

それとも・・・・いや、これ以上は想像しないほうがいい。

 

そんな矢先の昼休み、部室で団欒していると、Oさんと同じ工学部の仲良し女子グループ3人組がやってきて、いきなり衝撃発言を発したのだ。

 

「Oさん、大学に全然来てないんです」

 

心の中で『やっぱりか!』と思ってしまった。

サークルだけでなく大学にも来ていないとなると、ただ事ではない。

 

仲良し女子グループの子がさらに続けた。

「メールも届いてるようなんですけど…何の返信もないんです」

 

仲良し女子は、すごい心配しているようで、サークルの部室を藁をもすがる思いで訪れてくれたのだろう。

 

正直僕は、個人的な連絡をするほどOさんとは仲良くない。

僕から答えれるのは夏休みの京都旅行ドタキャンの件だけだった。

 

京都旅行ドタキャン事件が、今回の件と関係があるかわからないが

僕が一通り、その事件の詳細を話した後、仲良し女子の一人が、かなり迷いながら携帯の画面を見せてくれた。

 

そこには一通のメールが…差出人はOさん

 

『しばらく旅に出ます』

 

送信日は9月10日。秋学期始まる1週間前の話だ。

 

友人は最初、いつもの冗談だと思い『どこへ行くん?』と返したが返信が来なかったので・・・旅行系サークルの僕らなら何か知っているかもと思い、部室にやってきてくれた。

 

結局、何の情報も得られず彼女たちは去っていった。

 

何の力にもなれず、もどかしい思いとOさんの所在が益々、心配になってきた。

 

サークルの最年長でOさんと個人でも連絡しているアジア放浪女子Sさんに相談すると

こっちからアクションをしかけていこうとなりSさんからOさんに電話。

 

電話はコール音は鳴るもののつながらず・・・最終手段としてメールを送ることに。

メールの内容は『香港合宿に決まったこと』『心配なので気が向いたら顔見せてください』という差しさわりのない内容である。

 

その翌日、まさかの返信があった。本人からではなく母親から・・・

突然のメールですみません。娘にいつも親切に仲良くして頂き有難うございます。娘ですが、事故にあい入院中です。いきなりメールをさしあげましたのは  会計として預かっているお金をお渡ししたいと考えたからです  今年も海外旅行の季節となり、物入りの時期に会計が突然休みだし、部長さんには本当にご迷惑をかけて、申し訳ありません。

 その後、何度かやりとりし部費の返金があり、失踪事件は副部長Oさんの入院→休学ということでひとまず解決した。

 

 

ただ、このメールに物凄い違和感を覚えた。

多分、母親は噓をついている。あえて、ここでは話さない。僕の邪推かもしれないから…。

 

モヤモヤした気持ちのまま、香港合宿の準備は佳境を迎える。

 

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2008年 香港合宿の記憶 はじめに5(京都へ小旅行)

たった6人ので行われた先日のサークル打ち上げで合宿に行き先と、もう一つ決まったことがある。

 

副部長のOさんが

『京都、貴船へ流し素麺を食べに行こう!』

と発案し…夏休みに6人で京都へ行くことになったのだ。

 

うちのサークルがテスト打ち上げなどの飲み会以外イベントをする事はかなり稀である※1。僕が部長になってからの1年間でイベントといったら京都散策と鍋パーティぐらいで、ほぼ皆無。

 

3日前に副部長のOさんからメーリングリストで集合場所などの連絡が来て結局、5人で行くことになった。部長の僕、副部長Oさん、4回生Iさん、幽霊部員Tくん、新入部員のさわやか少年Hくん。

 

前日に4回生Iさんから『急に用事できたので行けません』とメーリングリストで回ってきたので4人に。

 

という訳で当日、電車に乗り京都駅に到着。5分前に集合場所着いたのだが誰も来ていない。

 

携帯のメールを見てみると幽霊部員Tから『バイトで行けません。』

 

 

おいっ!!!!!3人かよ!!!どうなってんだ!!!

 

と思ってたら…新入部員のHくんが15分遅れでやってきた。

 

そして主催者の副部長は1時間待っても現れなかった。

 

4回生Iさんから

「Oさんから私にだけ39度の熱で行けませんって連絡してきた!たぶん、みんなに言ってない」

 

おいっ!!!!!なんで参加しない人にだけ連絡してるんだよ!!

 

しかも主催者が・・・!!!

 

ということは新入生Hくんと僕の男2人で京都旅・・・どう考えてもヤバいので・・・

二人の共通の話題である水曜どうでしょう絵ハガキの旅IN京都をして、この日は解散。新入生のHくんと少し仲良くなったのがこの日の唯一の収穫だった。

 

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※1:一応、フォローしていくと2009年以降は京都や香川旅行、クリスマスパーティやら開くぐらい一般的なサークルになってますので、今もそんな感じだと思います。